稽古照今

けいこしょうこん
「 古(いにしえ)を 稽(かんがえ) 今に照らす 」

稽古とは、
『書経』尚書/堯典[1]等の中国古典籍にあることばである[2]。 日本では『古事記』太安万侶序文末に「稽古」がありその意味は、古(いにしへ)を稽(かむがへ)ることである。同文の「照今」(今に照らす)とあわせ、「稽古照今」という熟語としても使用される。 日本武術などの形練習においては過去の達人であった先人の遣った理想的な形に近づべく修練することである。
武道、芸能に限らず、親方や師匠が教えることを、稽古をつけるという。また、単に学んだことを練習することも稽古という。お稽古ごとというと、伝統芸能に限らずピアノ教室なども含まれる。どれにおいても、稽古を積み研鑚を重ねることによって実力をつけていく。
『稽古する』というと、華道やお茶に習字はもちろん、剣道でもそう。
いま世間で行われているスポーツなどは、主に勝ち負けにこだわる「競技」だと私は思う。
この「競技」に人生をかけて生きる場合、常に勝ち続けなければ心の平安は訪れないのではないか?
また、それがある日突然無くなった場合、その人生は無(空)になるのではないか?
今回のコロナのこともしかり、怪我や病気や諸々の事情もしかり。いつどんな方法でそれらがなくなってしまうかもしれない。
常に自分以外の何か(誰か)と戦う意味はどこにあるのだろう。
何のためにそれを行うのか。
誰のためにそれをやるのか。
今をこの一瞬を懸命に生きるっていうのは どうだろうか。
少し先にあると思われる幻想や勝ち負けのために生きるのではなく、それがなんであれ。
稽古照今(けいこしょうこん)
先日、目に心に飛び込んできたこの言葉に、私は魂を揺さぶられている。
まったなしで全ての人…私が生き方を大きく転換する時が今だと感じている。
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