思考がつくりあげるもの

思考がつくりあげるもの

<299ページ 思考がつくりあげるもの より>
この本に登場した多くの研究者たちと同様に、カフナたちは思考には実体があり、彼らが「キノ・メア」(影体)とよぶかすかなエネルギー物質でできていると考えた。
(中略)
ほとんどの人は思考に責任をもっていない、とカフナは言う。高次の自己に対し、まったくコントロールされていない、互いに矛盾しているさまざまな計画や望み、恐れなどを常に浴びせかけている。これが高次の自己を混乱させるため、ほとんどの人の人生は、これまたコントロールのきかない偶然の産物と見えてしまうのだ。強い力をもち、高次の自己といつもつながりをもっているカフナは、人の未来をつくり変える手助けができると言われていた。同様に、生きていく過程で、人々が頻繁に立ち止まっては自分の人生について考える時間をとり、自分の望みを具体的なかたちで思い浮かべることが非常に大切だと考えられていた。そうすることによって、人は自分の身にふりかかる出来事をもっと意識的にコントロールできるようになり、自分の未来を自分の手でつくっていくことができるとカフナは説いたのである。
(中略)
チベット密教の神秘主義者たちも、この思考の「物質」を「ツァル」とよび、すべての精神活動はこの神秘的なエネルギーの波動を生み出すと言う。彼らは、宇宙はすべて心の産物であり、すべての存在のツァルの集合によってそれは創造され、生命を与えられていると考えた。密教によると、ほとんどの人は自分がこの力をもっていることに気づいていないが、それは普通の人間の精神が「大海から隔絶された小さな水たまりの如く」にしか機能していないからだという。精神の深いレベルに接触する技を持つ偉大な行者だけが、このような力を意識的に利用することができると言われており、彼らがこの目標を達成するために行ったのは、望むものが創造された姿を繰り返し思い浮かべ視覚化(観想)することであった。チベット密教の文献には、この目的で行われる「サーダナ」とよばれる視覚化の訓練がたくさん書かれており、カギュー派のような宗派では、自分の視覚化能力を完成させるため、僧侶は最長七年間も洞窟や閉ざされた部屋の中にひとりで過ごすという。