一の矢は、避けられない。しかし二の矢は、叩き落とさねばならぬ

・仏教では、なんらかの刺激を受け、それに対する痛みや反応が生じるのを「一の矢」と呼ぶらしい。これはいたしかたがない。どんなに修行しても、痛いものは痛い、悲しいものは悲しいと言う。失敗したら、後悔もするだろう。ところが、修行していないと「二の矢」にやられてしまう。二の矢は、そのことをいつまでも思い悩み、自分を責め、自信を失い、不安を増大させる。
・仏教では、「一の矢は、避けられない。しかし二の矢は、叩き落とさねばならぬ」と教えられるという。

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